たったいま、amazonでかいものをしました。それでもわたしはイスラエル支援企業をボイコットしています。
amazonでかいものをするというこうどうが、どのような不正義にむすびつくかということは、ネットでしることができます。あるいは、そうぞうりょくによって、そうぞうすることができます。
そのamazonでほんをかいました。
シティバンク銀行のクレジットカードをつかいました。
それでもわたしはマルクス主義者です。
ところで、わたしがamazonをおとずれるさいにこころがけていることがあります。すこしまえからです。それは、いかのブログにある入り口をとおるということです。
なんかげつかまえに、『資本論第二巻』をかいました。19世紀、ヨーロッパのニートがかいたほんです。カール・マルクス。まだ第一巻をよんでいません。しかしとてもつらいことがあったので、どうしてもほしかったのです。ちょうしがわるい日は、でかけるまえにカバンにいれるようにしています。
わたしにはマルクスがりかいできない。わたしにはねこねこさんがりかいできない。
だからこころづよい。じぶんをりかいしてもらうことに失敗したとき、わたしはりかいされずに死んだニートや、りかいされずに死にそうになっているニートのことをおもいます。そしてわたしじしんがかれらをりかいできないということを、ほこりにおもいます。
連帯ということばが、ずっときらいでした。いまもきらい。しかしふとよわきになったとき、さけびたくてもさけべないとき、そのことばをさけんでいることにするのがわたしのルールです。そのためにこそ、わたしはそのことばがきらいになったのかもしれません。そのためにこそ、不正義とであうのかもしれません。そのためにこそ、わたしは集団になじめないのかもしれません。そのためにこそ。そのためにこそという表現の、この段落でのはたらき。不正義にありがとうといいたいです。
ねんのため、もういちどリンクをはっておきます。