「ニートのあした」宣言

プロフィール

ニートはジャズ - 作品集


ニートは、強制労働社会に請求書を おくりつけます。 しごとを わけてやるから、カネを わけろ!

少女マルクス主義

それでね、おじ様、私も社会主義者になるつもりですの。よろしいでしょう? 無政府主義なんかとは全然ちがいます。爆弾を投げて人を吹きとばしたりするようなやり方には賛成しないのです。たぶん私は生まれながらにして社会主義者の一員なんでしょうと思います。私は無産階級ですもの。でもまだ何主義者になるか、はっきりきめていません。日曜日によく研究した上で、次の手紙に私の主義を発表することにいたします。

ジーン・ウェブスターあしながおじさん』)


 「少女マルクス」っていうのは確かリオタールが新左翼だか何かを馬鹿にして言った言葉だ。
 つまり、クラスのホームワークで「社会から貧困をなくすためにはどうするべきか」について、ナイーブで可愛らしい意見を書くような女の子みたいだってことだ。


 大塚英志がどこかで村上春樹(今話題の!)を引いてクラスの女子の健全さについて語っていた文章があったと思う。村上春樹が、内容は覚えていないけど、何か差別的な発言をしてそれをクラスの女の子は決して許しはしなかった、確かそういうエピソードについて語っていたはずだ。そんなときどういうことになるかというと、無論、倫理的な無法者の辿る道はひとつだ。多勢に無勢の吊るし上げを食らうのだ。
 ぼくは村上春樹よりも吊るし上げを食らった回数は多いかもしれない。つまらない理由が多かったと思うけど。どうだろう、、きちんと謝ることができたりしたいたかと思うと全然そんなことはなかったと思う。彼女たちは頑迷だった。不正義を決して許しはしなかった。ぼくは同じように頑迷で開き直ることに慣れきっていたから、残念なことにそこは合意よりは不合意を生み出す制度だったと考えるべきだろう。
 でも、そんな風に不調に終わった話し合いを回顧して思うのは、村上春樹大塚英志もそしてぼくも同じことだ。「なんと彼女たちの正しかったことだろう!」。


 自分でもずいぶん反時代的なことを言ってるという気はするが、そのような「健全さ」こそを擁護したいと思う。そのような「健全さ」はいまのサブカル化された思想の支配的なトーンにおいては(彼らの少女趣味となぜだか相反して)抑圧的なものだと批判されるものである。しかし、どうであろう、ナイーブなものをナイーブであると嗤って、頭でっかちでシニカルなオタクであればそれで足りるというような、そのような思想に、彼ら自身が語るような未来など本当にあるだろうか。
 ある種の正しさにはついていけないと思うときだってある。しかし、正しさを放棄してそこから先に進めるなどとは思わないことだ。


 少女趣味でしかないと言われようと、そうであってなぜいけないのか、というべきだ。不平等や不正義は許されないことなのである。
 我々は可愛らしくて甘っちょろい健全な社会主義を擁護するべきなのである。